2012/03/31
野田総理殿、現役世代を大切に~「持続可能な生活」が担保されない中での「持続可能な社会保障制度」など価値はありません
「首相は30日の記者会見で『政局でなく大局に立つなら、政策のスクラムを組むのは十分可能だ』と述べ、野党に協力を求める考えを示した。『決められない政治』から脱却できるかどうかの正念場である。与野党はそうした危機感をもって審議に臨んでほしい」野田内閣が消費増税関連法案を閣議決定し、法案を国会に提出したことを受け、日本経済新聞は「首相はぶれずに突き進め」という社説を掲載、その中でこのように主張している。
それにしても日本の新聞報道の質の悪化は、目を覆いたくなるものだ。
「政局よりも大局」という空虚なキャッチコピーを繰り返す野田総理に賛意を示す日経新聞。しかし、二言目には「大局」「大局」という新聞が報道する内容は、「政局」に関するもののオンパレードである。
31日付の日本経済新聞も「与党内の亀裂拡大」「首相 消費増税に命運 シナリオを読む」という見出しの「政局」に関する記事に多くの紙面を割いている。また、「サブミナル効果」によって、読者に「消費増税に反対しているのは国民に忌み嫌われている小沢元代表を支持する政局重視の議員達」というイメージを植え付けることを狙っているかのうように、何時も通り「「消費増税に反対する小沢一郎元代表に近い議員」という表現を随所にちりばめている。
結局のところ「大局」をみる目も、姿勢も持ち合わせていないということ。
また、31日付日本経済新聞には、30日に行われた「首相会見の要旨」が掲載されている。「要旨」であるから、ある程度デフォルメされることは仕方がない部分もあるが、この記事を読んでも「首相会見の醜さ」は全く伝わってこない。是非多くの人達に「政府インターネットテレビ」にアクセスして30日の首相会見を実際に見て頂き、「首相会見の醜さ」を実感して頂きたいものである。
「いつも申し上げているんですけれども、今日より明日はよくなると思うことの出来る、そういう社会を作りたいと思っております。確信の持てる社会、実感の持てる社会を作りたいと思っております。その行き着く先が、国民の多くの皆さんが不安に思っている社会保障の持続可能性だと思います」
1月時点で生活保護を受給している人が前月より4810人増加の209万1902人、世帯数も同3555世帯増加の151万7001世帯と、過去最多を更新し続けていることが厚労省から発表され、雇用情勢の厳しさなどから今後も増加が続くとみられているなかで消費増税に踏み切った野田総理。こうした経済状況の中で、消費増税によって「今日より明日はよくなると思うことのできるそういう社会」を作れるというロジックはどこから湧き出てくるのだろうか。殆どSFの世界でしかない。
消費増税の実施によって国民が「確信の持てること」「実感を持てること」は、「今日より明日の生活は苦しくなる」ということと、「景気が悪くなる」こと位である。
「若い人達は学んだ後に仕事につけるかどうか不安に思っている。働いている女性たちは子供を産み、そして預けることが出来るという社会なのか子育てに不安を持ち、孤軍奮闘をしている。そして誰もが未だにまだ老後に対して不安を持っている。そうした不安を取り除くことが今日より明日がよくなるという行き着く先の一番の根幹であろうと思います」
国家公務員新規採用の大幅抑制という政府方針を打ち出している野田総理が、よくもぬけぬけと「若い人達は学んだ後に仕事につけるかどうか不安に思っている」と言えたものである。
さらには「そうした不安を取り除くことが今日より明日がよくなるという行き着く先の一番の根幹であろうと思います」、だから消費増税を実施しますというに至っては、論理として滅茶苦茶。
若い人達は今、所得税を払えるようになることを希望しており、そうなれるのかを心配しているのであって、老後に年金が貰えるかどうかなどを心配しているわけではない。
それは現役世代も同じである。何よりも優先することは、何時でも職を得られ、家族を養っていける収入を得られるという安心感である。これが担保されるのであれば、多くの国民は喜んで消費増税に応じるはずである。
「持続可能な社会保障制度」は、「持続可能な生活」の延長線上に存在してこそ意味があるものである。「持続可能性の疑わしい生活」を強いられる中で「持続可能な社会保障制度」など殆ど存在意義のないものである。
マズローの欲求階層説では、人間の欲求は低次元のものから順に「生理的欲求」「安全欲求」「愛情欲求」「尊敬欲求」「自己実現欲求」と高次元なものになっていくとされている。そして、低次の欲求がある程度満たされないと、それよりも高次の欲求が発現しないとされている。
今の日本社会は、社会の発展に伴い高くなるはずの国民の「欲求」が、「安全に安心して生活をしていきたい」という2番目に低い次元の「安全欲求」に逆流しつつある危機的状況にある。こうした「低次の欲求」が満たされなくなりつつある社会で、「持続可能な社会保障性」のための消費増税に突き進むなど、もっての外である。「自己実現欲求」という最も高次の欲求を追及する者達が集まる松下政経塾では、マズローの欲求階層説など取り上げなかったのかもしれない。
名目GDPが1997年にピークを付けた1998年以降、日本の自殺者は14年連続で30,000人を超えている。こうした人達が「持続可能な会保障制度」の実現が無理だということを悲嘆して命を絶ったわけではなく、「持続可能な生活」の実現が困難であることを悲観して命を絶ったことは、内閣府調査の自殺原因で「経済・生活問題(約21%)」が「健康問題(約48%)」に次いで2位になっていることからも明らかである。
「消費増税原理主義者」が目を向けなくてはならないことは、自殺者の48%強を現役世代と言われる30代~50代が占めていること。これは、野田総理が消費増税を正当化する際に使うお得意のフレーズである「胴上げ型から肩車型へ」の動きを加速させるもの。子育て支援が重要であることは論を待たないが、現在の貴重な現役世代の数を減らさないこと、現役世代が「持続可能な生活」を送れて税金を払える社会の実現を目指す方が「待ったなし」のはずである。そのためには、消費増税よりも経済再生が「待ったなし」であることは子供でも分かる理屈である。
「持続可能性の疑わしい生活」を強いられる中で「持続可能な社会保障制度」など殆ど存在意義のないものであることを、野田総理をはじめとした「消費増税原理主義者達」が理解出来ないのは、彼らが日本の厳しい経済状況から隔離され、「持続可能な生活」を続けていくことを担保されていることの証左でもある。
中身のない空虚なキャッチコピーを繰り返して消費増税に邁進する野田総理と、それを支援する日本経済新聞。26日に、東京電力福島第一原子力発電所の2号機で内視鏡を使って格納容器の内部を調べる2回目の調査によって、容器の底から3mほどあると言われてきた水位が、60センチしかないことが明らかになったが、彼らが振りかざす尤もらしい理屈を聞く限り、彼らの思考能力、問題認識能力も、格納容器の水位と同様、考えられているほどは高くないことは間違いない。
日本の政治と経済がメルトダウンする前に、危険の原因を取り除かなければならない。「消費増税原理主義者」がこのままのさばり続ける限り、日本の政治と経済のメルトダウンは「想定内の出来事」なのだから。