2012/07/24
「期待値」の低い内閣が「確率論」で説明する「オスプレイの安全性」
「日本が主体的に事故原因の究明を行い、安全性が確認できるまで飛ばさない」23日、米軍岩国基地に一時駐機のため陸揚げされた米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについて、野田首相は数日前に「配備自体は米国政府の方針だ。どうしろ、こうしろという話ではない」と無責任な発言をしたことなど忘れたかのように、勇ましく強調した。
「未亡人製造機」とも揶揄されるオスプレイを、「安全性が確認できるまで飛ばさない」というのは、当然のこと。しかし、問題はどうやって「安全性が確認できるのか」という点。
「安全性」を確認するのは容易なことではない。さらに、野田総理が、それを国民に納得させるのはさらに難しいことである。それは「確率」ではなく、「期待値」が低いからある。
「重大事故」が全て正しく反映されていないなどの指摘もあるが、公式の発表では、オスプレイの10万飛行時間当たりの「重大事故」の件数を示す「事故率」は1.93と、海兵隊の垂直離着陸戦闘機AV8Bハリアーの6.76、海兵隊全体の平均事故率は2.45と比較して低いとされている。
「確率」という科学的見地からは、オスプレイの「事故率」の低さは、十分「安全」と言えるものなのかもしれない。しかし、「確率」論の限界は、「サイコロを振って1が出る確率は1/6」ということは計算出来るが、「次サイコロを振って何の目が出るか」は計算できないところである。要するに、オスプレイの10万飛行時間当たりの「重大事故」の件数が1.93と低い「確率」であったとしても、次の飛行で「重大事故」が起きないという保証にはなり得ない。
「想定外」の地震と津波によって、原子力発電の「安全神話」が崩壊した日本では、国民の意識は「確率」の高低よりも、それが起きた時の影響度、いわゆる「期待値」の方を重要視する傾向が強まっている。こうした日本社会の変化を考えると、野田政権がオスプレイの「安全性」を確認し、国民を納得させることは極めて難しいと言える。
「日本として主体的に事故原因の究明分析を行うまでは飛ばさない」
こうした現実を認識しているのか、野田総理は発言を「安全性が確認できるまで」というものから「日本として主体的に事故原因の究明分析を行うまで」にトーンダウンさせ、オスプレイの飛行のハードルを下げているようだ。「安全性の確認」は極めて難しいが、「日本として主体的に事故原因の究明分析を行う」というのは、行えばいいだけのことで容易いからだ。
防衛大臣が「老朽化し使い続ける方が危ない」という見解を示している野田内閣が「主体的に事故原因の究明分析を行う」といっても、国民の目にはお得意の「アリバイ作り」にしか映らない。
毎度のことではあるが、野田総理が「安全性が確認できるまで」「主体的に事故原因の究明分析を行う」という、具体性の乏しい抽象的な言葉を繰り返して「アリバイ作り」を行い、最後には「決断する政治」という無意味なスローガンで、予め決まっている結論を押し付ける腹積もりでいることは想像に難くない。
NNNが20~22日に行った世論調査で、支持率が21.6%と発足以来最低となった野田内閣。こうした「期待値」の低い内閣が、幾ら「確率論」を振りかざしてオスプレイの「安全性」を訴えても、国民の耳に届くことはない。
毎週金曜日に首相官邸周辺で実施されている原発再稼働への抗議デモについて「大きな音だね」と無神経な発言をした野田総理。「国民の声」を「音」としか捉えることのできない、国民からの「期待値」の低い野田総理には、自らが繰り返す無意味なキャッチフレーズが、もはや国民の耳に「耳障りな音」にしか響かなくなっていることを認識出来ていないようである。