2016/06/22
「イングランド銀行を打ち負かせた男」がもたらした幻想
EU離脱の是非を問う英国の国民投票がいよいよ明日に迫り、市場の緊張感も高まってきている。世論調査では「残留派」が盛り返しているもののまだ拮抗した状況であるが、ブックメーカーのオッズでは75%が「残留」であるうえ、「過去24時間の賭けの約95%が残留を見込むものだった」(21日付Bloomberg)と、賭けの対象としては「残留」に大きく偏っており、大勢は決したといえる状況に近づいている。
それにも関わらず、金融市場では「離脱」に対する警戒と期待感が強く残っている。
これは25%という「離脱」確率が、投資の分野では決して小さくないことに加え、国民投票に向けて様々なノイズが入ったことも影響している。
そのノイズをもたらしたのは、御年85歳で現場復帰と報じられたジョージ・ソロス氏とジョー・コックス下院議員の殺害事件である。
言わずと知れたジョージ・ソロスはポンド売りを仕掛け「イングランド銀行を打ち負かせた男」として名を馳せている伝説のトレーダーである。
国民投票の控えた段階でのジョージ・ソロスの現場復帰報道は、再度ポンド売りを仕掛けるという思惑を誘い、数日でポンドは2.4%近く下落した。それは、「イングランド銀行を打ち負かせた男」というキャッチコピーが、投資家に1992当時と現在の状況の違いを考えさせないほど強烈なものだったからだ。
しかし、ジョージ・ソロスが「イングランド銀行を打ち負かせた」のは、まだ英国を含めて欧州が共通通貨ユーロに向けて準備段階にあり、管理相場に近い時代であった。そこに生じた建前と本音のギャップをジョージ・ソロスは標的にしたのである。
これに対して、今の英国はジョージ・ソロスの功績によりユーロには参加しないで済んだうえ、完全変動相場制を採用しており、建前と本音の間に大きなギャップは生じていない。
また、「イングランド銀行を打ち負かせた男」の再登場に対して世界の中央銀行は敏感に反応し、英国のEU離脱を受けた市場の混乱に対しては「ドル緊急供給」を行うという協調体制を敷き、ポンド売りに対する防御態勢を整えた。
1992年に「イングランド銀行を打ち負かせた男」自身は、こうした違いを十分に認識して行動しているはずである。「イングランド銀行を打ち負かせた男」の再登場は、こうした1992年当時との状況の違いを認識していない投資家を盲目的な「ポンド売り」に走らせたといえる。
そこに起きたのは、「残留派」であったジョー・コックス下院議員の殺害事件。この不幸な出来事によって、本来国民投票日まで温存される可能性のあったポジションの巻き戻しが起こってしまった。コックス下院議員殺害事件以降、「残留派」が優勢になるという思惑がポンドの買い戻しを誘い、約3.5%上昇して来ている。
直近のポンドは1.47$付近と、今年の最高値水準まで戻している。これは、「イングランド銀行を打ち負かせた男」の登場によって盲目的にポンド売りに走った全ての投資家が損失を抱えていることを意味するものでもある。
英国がEU離脱に向かうことになった場合、金融、経済の両面で混乱が起きることは想像に難くない。しかし、それは「不確実性」の範囲であり、「英国経済が打撃を受ける」というものであるとは限らない。
専門家の間では、もし英国がEU離脱を選択した場合、他のEU加盟国に連鎖することを懸念する声も上がっている。しかし、これはEU離脱とユーロ離脱の違いを無視した指摘である。
ユーロ採用国でない英国のEU離脱の影響は、言われているほど大きくないと同時に、ユーロ採用国のEU離脱の連鎖を招く可能性は低いはずである。
金融市場は23日に実施される英国の国民投票の結果を固唾をのんで見守っているが、市場への影響という観点では、「離脱」が選択された場合の反応より、「残留」が選択された場合の反応の方が大きくなる可能性があることは念頭に置いておくべきかもしれない。