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「私自身が判断したい」という総理発言は何故素直に受け入れられないのか

「国民の皆さんの命と暮らしを守るために2週間程度の延長が必要ではないかなと考えている。専門家、関係者の皆さんの意見を伺ったうえで最終的に私自身が判断したい」(3日付日経電子版 「緊急事態宣言、2週間程度延長へ 首相「病床逼迫ある」

この発言の裏には「後手後手」という批判と、それを印象付ける要因を作り出している「緑の狸」を抑え込もうという思惑が見え隠れする。

本来政府対策会議本部長である総理が専門家に諮問したうえで発出するという政府主導の仕組みになっている緊急事態宣言発出が、いつの間にか知事の要請を受けて政府が発出するという受け身の仕組であるかのような印象が植え付けられてしまった。こうした印象作りを主導したのが「緑の狸」であったから、総理には何としても「緑の狸」が出て来る目に先手を打って「政府主導」であることを再度認識させるという強い意志が働いたのだろう。

こうした政治的駆け引きが見え隠れするから「国民の皆さんの命と暮らしを守るために」という発言が白々しく国民の心に響かない白けたものになっている。

「最終的に私自身が判断したい」という発言に関しては「科学的根拠を示せ」という意見も強いようであるが、緊急事態宣言を2週間延長することを正当化する科学的根拠を求めるのは無理というもの。出したとしても反論続出必至で国民全員を納得させることは出来ないなのだから。

こうした国民の意見が割れる問題に対して総理が「最終的に私自身が判断したい」というのは民主主義では当然のこと。そのために総理という国のリーダーを選んでいるのだから。

それにも関わらず、総理の発言に批判が出て来るのは、総理が国民が選んだリーダーであると認識されていないからである。それは支持率が低いことや自民党内の事情で密室で総理が決められたということだけではない。

根本的な問題は、国会が首班指名をする仕組みの中で本来一人一人が国民の代表であるはずの国会議員が、選挙制度によって「おらが町の代表」に成り下がっていたり、政治のボスの子分に甘んじているところにある。国民の代表としてあるまじき行為をしたところで「おらが町」で当選さえすれば禊は済んだとして「国民の代表」に拡大解釈されるところに国民は白けて政治離れを起こし、その結果多くの国民の目には国会が指名した総理が「国民の代表」に映っていないのだ。

政治はそれを逆手にとり、国民の政治離れを進めることで「国民の代表」を世襲を含めた一部の人間で独占しようとしているように思える。

「国民の代表」といえる総理が誕生する仕組みなくして「国民の皆さんの命と暮らしを守るため」の政治を望むべくもない。残念なことは、こちらの実現は新型コロナウイルス撲滅よりもずっとずっと遠く険しい道のりに思えることだ。

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近藤駿介

プロフィール

Author:近藤駿介
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ファンドマネージャー、ストラテジストとして金融市場で20年以上の実戦経験を持つと同時に、評論家としても活動して来ました。教科書的な評論・解説ではなく、市場参加者の肌感覚をお伝えしていきたいと思います。

著書

202X 金融資産消滅

著書

1989年12月29日、日経平均3万8915円~元野村投信のファンドマネージャーが明かすバブル崩壊の真実

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