2023/02/22
次期総裁の前に「まっさらな紙がある」?~「おめでたい経済学者」vs「現実社会に存在する経済学者」
「植田氏の前にはまっさらな紙があり、好きなものを描くことができるとの見方を示した。その上で、黒田氏の下での10年にわたる異次元緩和を引き継ぐのは容易なことではないが、少なくとも植田氏の手は何に対しても縛られていないと述べた」(21日付Bloomberg 「植田氏の下でYCC撤廃も、緩和は継続-アベノミクス指南の浜田氏」)ここまでいくと申し訳ないが老害としか言いようがない。
この御仁の指南を受けた黒田日銀の異次元の金融緩和が積み上げてしまった負の遺産の整理が唯一最大の課題である植田次期日銀総裁候補の前に「まっさらな紙」などあろうはずがない。浮世離れにもほどがある。
現実の社会は「過去~現在~将来」が繋がっている。「現在」は「過去」の結果であると同時に「将来」の原因になる。それは現実の社会は制約と前提条件のなかで動いているということ。つまり現実の社会において「まっさらな紙」など河童やツチノコのようなもの。
金融実務を行っている人間は常に「過去~現在~将来」に縛られているのに対して、「おめでたい経済学者」の思考範囲は「現在~将来」だけ。これが彼らの主張がほとんど現実の社会で役に立たない、生産性が低いものになっている根本的な理由。
この御仁が偉そうに指南しようとしても、植田次期日銀総裁候補が耳を傾けるはずはない。何故なら彼はこれからこの御仁が指南した間違った金融政策が生み出した負の資産の整理に向かうのだから。破産管財人が債務整理に関して倒産した企業の経営者からアドバイスを受けることがないのど同じ。
この記事で心強く感じたところは
「数年前に本を執筆する際は、植田氏の協力を得られなかった。浜田氏は世界の著名経済学者50人から見解を得ようとしていたが、浜田氏の見方が金融政策の効果に偏っているとして植田氏には断られたという」
という部分。
このエピソードからは次期日銀総裁が「おめでたい経済学者」ではなく「現実社会に存在する経済学者」だということを感じさせるもの。こうした印象は30年前に一度だけ次期総裁とお話しした際に受けたものと同じ。
一方、腹立たしい部分は
「浜田氏は、植田氏が日銀総裁として金融政策を運営するにあたり、誰一人深いやけどを負うことがないようにしなければならないと述べた」
というところ。
「誰一人深いやけどをおうことがないように」などという、「異次元の金融緩和の最初の成功部分だけは自分の手柄に残し、異次元の莫大な負の遺産を残したことは無罪放免しろ」 というような発想は虫が良すぎる話。この御仁と黒田総裁には「深いやけど」をおって頂かなければならない。司法取引をするにしてもその条件は罪を認めて白状することだということをお忘れなきように。
敗軍の将、日本の金融を破壊した戦犯にこれからの日本の金融政策を語る資格などない!
近日中に「日本の金融を破壊した戦犯」として日本の金融史に名を遺すのだから。
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