安倍総理と日銀白川総裁、それぞれの言い分~政治的ミスを犯した政府と、円高を放置した日銀

「安倍晋三首相は13日のNHK番組で、4月8日に任期満了を迎える日銀の白川方明総裁の後任について『大胆な金融政策を実行でき、我々の主張に合う人だ』と語った」

安倍総理は、15日にも金融分野の専門家と日銀総裁人事について協議を行うことを明らかにした。

「首相は最近、日銀への露骨な圧力を控えているが、日銀への強い不信が根差している。小泉政権の官房長官だった2006年3月に日銀が量的緩和の解除に踏み切ったことが経済成長の芽を摘んだとの思いだ」(1月10日付 日本経済新聞「政府と連携 日銀に迫る 諮問会議復活、まず金融議論 」)

安倍総理が日銀に圧力をかけている理由について、巷間このように報じられている。確かに、日銀は2006年3月に、当時の小泉総理の「「解除をしてみて、やはりダメだったからといって、元に戻すことは許されない。自信をもって解除できるまで、慎重に判断すべきだ」という発言を無視してまで量的緩和政策(2001年3月~2006年3月)の解除に踏み切った。

では、安倍総理の日銀に対する「2006年3月に日銀が量的緩和の解除に踏み切ったことが経済成長の芽を摘んだとの思い」は、事実として果たして正しいものだったのだろうか。

日銀の役割について「実体経済にも責任を持ってほしい。雇用を最大化することも頭に入れてもらいたい」と主張する安倍総理。この「雇用」に注目して、「日銀が量的緩和の解除に踏み切ったことが経済成長の芽を摘んだ」のか否かを検証してみよう。

下記のチャートは、日本の雇用者総数と、正規職員・従業員比率の推移を示したものである。

雇用者総数と正社員比率
この統計から明らかなことは、日銀が2006年3月に量的緩和の解除に踏み切った直後に、正規職員・従業員比率は低下したものの、雇用者総数は大幅に増えていることである。そして昨年7-9月期の平均雇用者総数は約551万人と、日銀が量的緩和を解除した2006年1-3月期の平均約539万人を上回っている。

こうした事実から言えることは、日銀の量的緩和の解除が雇用を奪った直接的要因ではないということ。正規職員・従業員比率の低下は、小泉内閣による「聖域なき構造改革」の一環として実施された「労働者派遣法の規制緩和」の影響の方が大きかった。つまり、政治的ミスであったと考えるのが自然で、もし安倍総理が日銀の量的緩和の解除によって雇用拡大が失われたと主張しようとしているのだとしたら、それはイチャモンだともいえるもの。

では、現在の日銀の量的緩和は十分なのだろうか。

日銀白川総裁の現在の日銀の量的緩和に関する認識は、「日銀が民間金融機関に供給する貨幣量(マネタリーベース)の名目GDP比率は、現在27%と先進国で最大だが、1年後は40%に近づく」という、既に十分に量的緩和は実施しているというもの。2012年12月20日の記者会見では、総裁就任後初めてわざわざフリップまで用意し、「日銀が非常に大規模な資金供給を行っている点について国民に誤解がある。日銀が地味なせいで十分浸透していない」という説明まで行っている。

白川総裁の「マネタリーベースの名目GDP比率は現在27%と先進国で最大」という主張は、これはこれで事実なのだろう。しかし、この説明は、日銀の大規模な金融緩和で円高阻止を目論む安倍総理には殆ど説得力を持たないもの。それは、為替レートは「通貨の交換」であるから、各国の名目GDPと中央銀行が市場に供給する貨幣量(マネタリーベース)を比較するのではなく、為替レートに影響する各国のマネタリーベースの量を比較するべきだからである。

日米欧の円換算後のマネタリーベースの量を比較したものが下記のチャートである。

マネタリーベースと為替

注目すべき点は、日米欧の円換算後のマネタリーベース総額に占める日本のマネタリーベースのシェアである。ドルやユーロを円に交換する際、日本のマネタリーベースのシェアが高ければ、需給バランスからして円高にはなり難い。反対に、日本のマネタリーベースのシェアが低ければ、需給バランスから円高になりやすくなる。「レア物は高い」。需給バランスという点から、最も供給量の少ない通貨、「レアマネー」に対しては価格上昇圧力がかかりやすいというのは当然のこと。

日銀は、2001年3月から2006年3月まで、世界に先駆けて量的緩和政策を実施した。その結果、この期間は円のマネタリーベースのシェアは40%前後と、最も供給量の多い通貨であった。しかし、2006年3月で量的緩和政策を解除して以降、円のマネタリーベースのシェアは低下し続け、2006年6月以降現在に至るまで、円はずっと「レアマネー:最も需給がタイトな通貨」の地位を保ち続けている。こうした需給バランス面から円高圧力が高まるなか、2007年以降、日米、日欧の金利差が縮小に向かい金利面からの円安圧力が低下したため、レアマネーである円は円高に向かい始めることになった。

白川総裁が、いくら「マネタリーベースの名目GDP比率は現在27%と先進国で最大」と主張しても、為替市場の需給という観点からは、依然として円のマネタリーベースのシェアは昨年末時点で24.1%と、ドルの41.9%、ユーロの34.0%に比較してかなり低い状態となっている。日銀が「レアマネー:最も需給がタイトな通貨」を脱するためには、他の条件が不変だと仮定すると、昨年末時点での約132兆円のマネタリーベースを、さらに54.5兆円増やす必要がある。こうした状況は、まさに「次元の違う金融緩和」が必要ということ。

過去の統計を見る限り、「2006年3月に日銀が量的緩和の解除に踏み切ったことが経済成長の芽を摘んだ」との安倍総理の思いは、説得力に欠けるもの。一方、為替市場における需給という点からすると、「デフレ・円高脱却には大胆な金融政策が不可欠だ」と主張する安倍総理の方に分がある状況である。結局、「小泉内閣による『聖域なき構造改革』の一環として実施された『労働者派遣法の規制緩和』という政治的ミスと、日銀が量的緩和解除によって高まった円高圧力を放置し続けたために、日本の経済成長の芽が摘まれてしまった」」というのが実態のようである。

安倍壮総理が無理筋に近い「雇用拡大の責任」を日銀に課そうとする真意は、金融緩和による雇用拡大にあるのではなく、遅行指数と言われる雇用拡大という責任日銀に課すことで、量的緩和政策の長期化を図り、為替を円安に誘導することにあるのだろう。

日銀の「次元の違う金融緩和政策」の期間を考えるうえで注目されるのは、安倍総理大臣が東南アジア訪問に出発する16日までに一定の方向性を固めとされている政府・日銀が交わす予定の文書において、明記されることが確実な「2%というインフレターゲット」よりも、雇用拡大に関してどの程度強い文言が盛り込まれるかである。
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コメント

はじめまして、かな?

>注目すべき点は、日米欧の円換算後のマネタリーベース総額に占める日本のマネタリーベースのシェアである。
そこに注目すべき理由がよく分かりません。
需給バランスといいますが、マネタリーベースを取引している市場関係者など、どこにいるのでしょう?

マネタリーベースが為替に関係している(ように見える)のは、それが短期金利に影響を与えるから、というのが説得力のある説明かと思います。
そうすると、量的緩和をしても為替レートには影響を与えない事になってしまうのですけど。

※この点については、ソロスチャートと修正ソロスチャートを比較してみるのが早いのではないかと思います。

日銀総裁の不作為

日銀(白川総裁)はベースマネーが増えていないことは百も承知なはずです。日銀は要するにデフレ解消が必要だというインセンティブを感じていないのではないでしょうか。インフレ対策、通貨の安定がが至上命題であって、円高を通じてデフレが進行し産業の空洞化が進み不況の深刻化が進むことに鈍感なのです。デフレの進行でデフレ下の完全雇用を目指しているのです。安売り競争を通じて企業、従業員が疲弊してしまうことを理解していないのでしょう。そういいう意味で今回の次元の違う金融対策は画期的なものになるでしょう。但し、近藤さんの仰っているように利権の汁を吸う無駄を排除できればです。ここを私たちはチェックポイントとして見守っていくべきでしょう。

Re: はじめまして、かな?

POM_DE_POM 様 この度は貴重なコメントを頂きありがとうございました。
ご指摘の通りマネタリーベースで取引をしている投資家はいないでしょう。特にFXやディーラーなど短期勝負の投資家にとっては、マネタリーベースなどのんびりした指標でしかありませんし。しかし、少し長い期間で運用をする人間にとっては、為替市場のリスクがどちらの方向にあるのかについては、分析しておいた方が賢明だと思い、小生は個人的にこうした分析を続けて来ています。
ソロスチャートとの違いは、ソロスチャートはマネタリーベースと為替の相関に重点を置いていますが、小生は各国通貨の需給に重点を置いている点です。ブログでは詳細な説明をせず、単に「需給」としてしまっていますが、実際には、マネタリーベースはその通貨の「供給」、金利(差)を「需要」と考えて、需給バランスを見ています。「供給」が過剰になればその価格は下がるし、「需要」が増えればその価格は上がる、という通常の経済学の考え方を取り入れているつもりでいます。
こうした分析が正しいか否かは分かりませんが、考えるうえでの一つのヒントにでもなればと思い紹介させて頂いた次第です。

Re: 日銀総裁の不作為

田島健司様 この度はコメントをお寄せ頂きありがとうございました。仰る通り日銀はベースマネーが増えていないことは承知していると思います。中央銀行は政策の足枷になってしまいますから、基本的にベースマネーと為替相場とを関連付けることは望んでいません。為替が変動する度にベースマネーを調整していたら大変ですから。安倍総理はそこに踏み込んで来てしまったわけですよね。インフレターゲットよりもベースマネーに対する圧力の方が日銀としてはイヤでしょうね。ベースマネーを増やしていないにもかかわらず円安になったことは日銀にとってはラッキーだったかもしれません。政権内からも急速な円安に対する懸念も出て来ていますし。

補足です

少々意図が伝わっていないようなので、補足させて頂きます。書き方が悪かったのかもしれませんね。

マネタリーベース「で」取引ではなく、マネタリーベース「を」取引している市場関係者です。
マネタリーベースの需給は当座預金間の資金のやりとり(コールレート)に反映されます。市場関係者が関わってくるのはそこから先の話ですよね?

つまり、マネタリーベースの増減によって変動した短期金利が為替レートの需給に影響を与えると考えられますので「金利がプラスの状態のマネタリーベースの変化」と「ゼロ金利下でのマネタリーベースの変化(つまり量的緩和)」を分けて考えないとおかしな事になる、というのが僕の指摘です。
(一言で言えば、金利差を見よ、という事ですが)

僕がソロスチャート「と」修正ソロスチャート「を」比較(近藤さんの提示したシェアとソロスチャートを比較、ではありません)に言及しているのは
・ソロスチャートは量的緩和期に説明力を失う
・修正ソロスチャートは量的緩和期にも説明力を維持する
からであり、その意味する所は「量的緩和は為替レートに影響を与えない」のだと思われます。


>こうした分析が正しいか否かは分かりませんが、考えるうえでの一つのヒントにでもなればと思い紹介させて頂いた次第です。
この点については、僕のコメントを含め、完全に同意します。


>日銀の不作為
これについては横レスになってしまいますが。
為替政策に責任を負うのは財務省ですから、財務省(すなわち政府)の不作為とするのが正しいように思います。

Re: 補足です

POM_DE_POM様 補足のコメントを頂戴しありがとうございます。小生からも一つ補足させて頂きます。小生がこうした分析を行った理由は、外部環境が急変した場合に為替市場にどちらの方向に、どの程度(大きいか小さいかという概念的なものですが)の影響が出るのかをイメージとして捉えておきたかったからで、これでトレードをしようという訳ではありません。欧州危機のように、ユーロを売る必要性が高まり、Fly to Qualityで円が買われることが想定される場合、売られるユーロの量が円よりかなり多ければ、円高圧力は急速に高まることが予想されますし、反対であれば一時的な影響に留まる可能性が出て来るだろうと想像した訳です。今回ご指摘いただいた点も参考に、今後もいろいろな角度から分析をしていきたいと思います。
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近藤駿介

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Author:近藤駿介
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ファンドマネージャー、ストラテジストとして金融市場で20年以上の実戦経験を持つと同時に、評論家としても活動して来ました。教科書的な評論・解説ではなく、市場参加者の肌感覚をお伝えしていきたいと思います。

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