TPP交渉参加表明「ミイラ取り」記者会見 ~ 「日銀流理論」を否定した総理が繰り返した「日銀流理論」

「TPP交渉には、太平洋を取り囲む11か国が参加をしています。TPPが目指すものは、太平洋を自由に、モノやサービス、投資などが行き交う海とすることです。世界経済の約3分の1を占める大きな経済圏が生まれつつあります」

安倍総理は15日の記者会見の冒頭で、TPPの重要性についてこのように述べた。

「世界経済の約3分の1を占める大きな経済圏が生まれつつあります」という表現は、聞き手に大きな経済圏が新たに生まれるような錯覚を与えるもの。しかし、日米2国だけで世界経済全体の30.4%(IMF 「World Economic Outlook, October 2012」 2012年推計値:以下同様)を占めているという事実を踏まえれば、何もTPPによって新たに凄い経済圏が生まれるわけではない。日本を含まない現状のTPP経済圏は、世界経済の22.0%を占める米国を含めても、世界経済の30.2%と、辛うじて3割を上回る程度で、世界経済の8.4%を占める日本が参加してようやく世界経済の38.6%を占めるようになる程度のもの。

こうした統計的トリックを含め、安倍総理の記者会見の内容は、聞き手に錯覚を与える説明のオンパレードであった。

「基幹的農業従事者の平均年齢は現在66歳です。20年間で10歳ほど上がりました。今の農業の姿は若い人たちの心を残念ながら惹き付けているとは言えません。耕作放棄地はこの20年間で約2倍に増えました。今や埼玉県全体とほぼ同じ規模です。このまま放置すれば、農村を守り、美しいふるさとを守ることはできません。これらはTPPに参加していない今でも既に目の前で起きている現実です。若者たちが将来に夢を持てるような強くて豊かな農業、農村を取り戻さなければなりません」

こうした聞き手の情緒に訴えかける美しい尤もらしい主張も、論理的には破たんしたもの。総理がこのように主張するためには、TPP参加によって「強くて豊かな農業、農村」が復活するという説得力のあるストーリーが必要であり、それなしにはTPP参加の理由にはならない。TPP交渉に参加しようがしまいが、日本が「強くて豊かな農業、農村」を取り戻さなくてはいけないことには変わりがないのであれば、それはTPP交渉参加の理由づけにはならない。総理はTPPに参加しないのであれば、「強くて豊かな農業、農村」を取り戻す必要はないと言いたいのだろうか。

「大分県特産の甘い日田梨は、台湾に向けて現地産の5倍という高い値段にもかかわらず、輸出されています。北海道では雪国の特徴を活かしたお米で、輸出を5年間で8倍に増やした例もあります。攻めの農業政策により農林水産業の競争力を高め、輸出拡大を進めることで成長産業にしてまいります。そのためにもTPPはピンチではなく、むしろ大きなチャンスであります」

安倍総理は、日本の農業の潜在能力の高さを訴えたかったのだろうが、TPPに参加しなくても、現地産の5倍という高い値段で日本の農産物が売れ、輸出を5年間で8倍に増やせるのであれば、何もTPPという国家的ピンチをわざわざ招き入れる必要はないはずである。ついでに言えば、安倍総理が例に挙げた台湾はTPP交渉参加国ではなく、日本がTPPに参加することで関税が撤廃され、輸出が伸びる訳ではない。何故、このような説得力も何もない例を挙げたのだろうか。

「多くの関税が撤廃されていくことによって物の値段が下がっていく。これは消費者が享受できる利益だと思います。そして、その分、購買力が増すことによって、GDPにプラスの寄与をします」

TPP交渉参加の効果についてこのように説明をした安倍総理。しかし、これは「2%の物価上昇目標」を掲げ、物価を上昇させることを目指している安倍政権の経済政策と180度逆のもの。「大胆な金融緩和」においては「2%の物価上昇目標の達成が日本経済復活に不可欠」だと主張し、TPP交渉参加問題においては「物価下落による消費者の実質購買力上昇がGDPにプラスの寄与をする」「物の値段が下がっていく。これは消費者が享受できる利益」と主張するのは、明らかな矛盾、二枚舌である。

政府が15日公表したTPP参加による経済効果の試算では、参加国の関税撤廃が実現すれば、自動車など日本が強みを持つ分野の輸出は増え、輸出全体でGDPを2.6兆円押し上げるとされている。

試算は試算でしかないので、その数値的な正確性について議論しても意味はない。確認すべき問題は、「自動車など日本が強みを持つ分野の輸出は増える」と簡単に決めつけてよいのか、という点である。

日本は、現TPP交渉参加11カ国のうち、シンガポール、メキシコ、マレーシア、チリ、ブルネイ、ベトナム、ペルーの7か国と既にEPAを締結発行済みであり、既に日本車の輸出に対して殆ど関税は撤廃、或いは撤廃されることが決定している。さらに、米国との事前協議では、米国が設定している自動車関税の削減を先送りする方向で日米両国は大筋合意している。要するに、関税撤廃による輸出拡大余地は言われるほど大きくない可能性があるということ。政府は、経済効果の結果だけでなく、その前提として、どこの国の関税が撤廃されることで「自動車など日本が強みを持つ分野輸出」が増えると目論んでいるのかを説明すべきである。

質疑応答を含め、何回も「強い交渉力をもって、我々は国益を守っていきたいと考えています」と訴えた安倍総理。しかし、「既に合意されたルールがあれば、遅れて参加した日本がそれをひっくり返すことが難しいのは、厳然たる事実」という中で、日本が交渉参加に踏み切らざるを得なかった事実こそが、日本の「交渉力の弱さ」の証明でもある。安倍総理が「強い交渉力」という言葉を繰り返すたびに、空しさが増していくようであった。

「だが、そこで使われるグラフは、一見すると日銀の正しさを証明するようなものだが、実は都合の良い時期だけを計測し、計測単位を拡大したものだった。日銀は、そうした詐術まがいの手を使ってでも批判を封じようとする」(「日銀が説明に使う詐術まがいのグラフ」より)

アベノミクスの第一の矢、「大胆な金融緩和」の理論的支柱となっている浜田宏一エール大学教授は、ベストセラー「アメリカは日本経済の復活を知っている」のなかで、このように日銀が自らの主張を正当化するために、時として詐術まがいの手を使い、経済学の理論を歪めていることを批判している。

15日のTPP交渉参加決定を表明する安倍総理の記者会見では、総理が批判して来た日銀の得意技である「ためにする論理」が数多く使われた。「大胆な金融緩和」では認めなかった「日銀流理論」を、「成長戦略」の中では自らが駆使していることに、総理自身は気付いているのだろうか。

安倍総理が、詐術まがいの「ためにする論理」を繰り返さざるを得なかったのは、TPP交渉参加を「経済問題」として説明しようとするからである。しかし、総理がTPP交渉参加に踏み切ったのは、おそらく「我が国の安全保障にとっても、また、アジア・太平洋地域の安定にも大きく寄与することは間違いありません」とする、「安全保障上の問題」だったはずである。「安全保障上の問題」を「経済問題」にすり替えることで、安倍総理が認めなかった「日銀流理論」を駆使せざるを得なくなった、何とも皮肉な記者会見であった。
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コメント

こうした詐術まがいの論法を「日銀流理論」とするのは無理があるのでは?
例えばちょうど今、何かと話題の岩田規久男氏の著作「日本銀行デフレの番人」を読んだ所ですが、岩田氏も「日銀流理論」を駆使してますよ^^;
(誤解の無い様に書いておくと、一応リフレ政策を支持しています)

・日銀の「目処」発表でインフレ予想が上昇した
 →上昇しているのは発表前とグラフ(図表1-1)の端の2日間(前日夜はFOMC)
・為替レートの予測式を示した図表1-2と図表7-2では別の予測式を使用
 →日本側・米国側どちらの要因で変動したかバレると困る?
・マネタリーベースとインフレ予想の関係「のみ」半年平均で比較、さらに量的緩和期は半年前と比較
 →リーマンショック直後のインフレ予想の急落&マネタリーベース急増期間は岩田氏の主張とは反対に逆相関を示す
 →数ヶ月程度の変動なので、半年平均で纏めると影響は消え去り、右肩上がりで量的緩和の拡大と整合的なデータが出来上がる

とか?

アベノミクスをめぐる掛け合い漫才
http://markethack.net/archives/51861000.html
にもあるように、近藤さんの業界も無関係では無いでしょうし、統計やデータを使って議論・説得する際には付き物でございましょう。日銀だけの問題ではなく。

POM_DE_POM様 久しぶりのコメントありがとうございます。
「日銀流理論」というのは、浜田エール大教授の著書から引用したものです。著書の中で厳密に定義をされている訳ではありませんが、「日銀の都合の悪いことに関しては、経済の常識とはかけ離れた政策でも、『理屈をつけて正当化する』ことに専念してしまう」と記されており、拙ブログではこうした行為を「日銀流理論」と表現しました。
会見での、TPP交渉参加を何としてでも正当化しようという総理の姿を見ていて、浜田教授が忌み嫌っている「日銀流理論」にはまってしまっているな、と感じたわけです。
小生も金融、経済、マーケットの分析をしますが、基本投資家でしたから、結論を正当化するための議論は余りやりませんでした。結論を導くために議論を積み重ねるようにしていました。そうでないと、無駄な損失を被ることになりますから。
ただ、第三者に自分の結論を説明する際には、仰る通りある部分を強調するような形に見えてしまうことはあったかもしれません。でもそれは、その変化、兆しを自分が重要視しているということを伝えるためのものでしかありません。幸い小生は株価や為替の予想をすることは本業ではないので、「結論を正当化する理論」をしなくて済んでいるという感じでしょうか。

>基本投資家(中略)無駄な損失を被ることになりますから
そうですね。僕も個人投資家ですから、よく分かります(笑)
それだけに、ちょっと偏ったポジションだなーっと気になってのコメントでした。

実際問題「日銀理論」あるいは「日銀流理論」というのは、浜田氏や岩田氏らが20年来の論敵に張った単なる「レッテル」で、貨幣乗数の不安定性など、むしろ日銀理論の方が実証的に受け入れられたもの少なくないです。
浜田氏の言い様は厳しいものですが、少々品の無い言葉で言うと「バカっていう方がバカ」ですね。

前述したように「結論を正当化するための議論」はお互い様ですから、浜田氏の言葉は自分自身(やその仲間)にも向けられている物です。
自覚は無いでしょうけど。

背景にあるのは理論家と実務家の対立(近藤さんの業界でもお馴染みの物でしょう)ですが、僕ならどっちの側にも付きたくないですね。

確かに、浜田教授は著書の中で、白川日銀の誤りは指摘されていますが、自らの主張の論理的正当性には殆どふれていません。白川日銀の政策が正しくないということと、浜田教授達の主張が正しいということは全く無関係ですから、もう少し自説についても説明してほしかったとは思います。あとがきに、今回の著書は「社会学」で書いたもので、「経済学」は次作と言われているので、次作までお預けのようです。それまでにアベノミクスの結論が出てしまいそうですが。
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近藤駿介

プロフィール

Author:近藤駿介
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ファンドマネージャー、ストラテジストとして金融市場で20年以上の実戦経験を持つと同時に、評論家としても活動して来ました。教科書的な評論・解説ではなく、市場参加者の肌感覚をお伝えしていきたいと思います。

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