集団的自衛権行使容認記者会見で見せた、安倍総理のおかしな論理

(201年7月2日)
■ のび太がジャイアンに対して集団的自衛権行使をしたら、のび太の「抑止力」は高まる?
「日本国憲法が許すのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民を守るための自衛の措置だけです。外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。むしろ、万全の備えをすること自体が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく大きな力を持っている。これが抑止力です」(首相官邸 7月1日「安倍内閣総理大臣記者会見」)

安倍総理は1日夕の臨時閣議で、集団的自衛権の憲法解釈変更を決定した後の記者会見で、このように述べ、「政府が集団的自衛権の行使を認めた最大の狙いは日米同盟を強化して抑止力を高めること」(1日付日本経済新聞 「日米同盟強化で抑止力」)であることを明らかにしました。

安倍総理の会見を聞いていて感じたことは、集団的自衛権の憲法解釈変更を閣議決定することで日本の「抑止力」が高まるという総理の論理構成に対する疑問です。

集団的自衛権とは、「米国のように日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が直接攻められていなくても武力で反撃する権利」(同日本経済新聞)ですから、憲法解釈変更によって日本が出来るようになる可能性があるのは、「米国が攻撃を受けた場合に日本が武力で反撃する」ということです。

さて、「抑止力」とは、「行為の達成が困難、または代償が高くつくことを予見させ、その行為を思いとどまらせる力」(「はてなキーワード」より)のことです。では、日本が、「米国が攻撃を受けた場合に日本が武力で反撃する」ことを認めるようになったとして、日本の「抑止力」は向上するのでしょうか。

集団的自衛権の憲法解釈によって「米国が攻撃を受けた場合に日本が武力で反撃する権利」を行使できるようになったとしたら、単純に言えば「抑止力」が高まるのは、日本ではなく米国だということになります。

現実問題として「日本の後ろには米国がいる」と思わせることは日本の「抑止力向上」に貢献します。しかし、その逆、「米国の後ろに日本が控えている」と言ったところで、日本の「抑止力」は向上しないはずです。のび太がジャイアンを味方に付ければのび太の「抑止力」は向上しますが、その逆ではのび太の「抑止力」には何の影響もないのと同じ理屈です。

■ 全く異なる日米安保改定と集団的自衛権の行使容認
「1960年には日米安全保障条約を改定しました。当時、戦争に巻き込まれるという批判が随分ありました。正に批判の中心はその論点であったと言ってもいいでしょう。強化された日米同盟は抑止力として長年にわたって日本とこの地域の平和に大きく貢献してきました」(同 安倍総理記者会見)

安倍総理は、1960年の日米安保改定を持ち出し、強化された日米同盟が「抑止力」として日本とこの地域の平和に大きく貢献して来たことを例に挙げて、集団的自衛権の行使容認によって日本の「抑止力」が高まり、「日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」という主張を展開しました。

しかし、これはデタラメな論理でしかありません。1960年の日米安保改定は、軍事的に米国が日本の後ろ盾になることを定めたもので、日本が軍事的に米国の相棒になることを決めたものではありません。日米安保の存在は、明らかに日本の「抑止力」を向上させたものだったのに対して、今回の集団的自衛権の行使容認は、日本の「抑止力」に対しては何の変化も及ぼさないものです。

安倍総理が日米安保条約の改定問題を例に挙げたのは、こうした違いを全く認識していないのか、日米安保改定を例に挙げることで、今回の集団的自衛権の行使容認によって、日本の「抑止力」が高まり、「日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」というような錯覚を国民に与えようとしたのかのどちらかです。どちらだったとしても、国民にとっては悲しいお話しです。

■ 権利を持っていることと、権利を行使することの大きな違い
日米防衛関係強化で日本の「抑止力」を向上させるのであれば、日本に対して武力攻撃が行われた場合には、必ず米国が武力で反撃するという言質を米国から引出す方がずっと効果的なはずです。

「米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約第5条は、日本の施政下にある領域が武力攻撃を受けた場合でも、米軍がただちに100%、自動的に来援することを保障するものではない。この条文には『自国の憲法上の規定及び手続に従って』という制約が付されている。米国の憲法では、宣戦布告権や軍隊の編成権、歳出権などは連邦議会に属している。中国軍が尖閣諸島を武力攻撃し占領した場合に、果たして連邦議会が米軍の出動を認めるだろうか」(4/28東洋経済ONLINE 「中国を武力攻撃するレッドラインはない」)

日本では、先日オバマ大統領訪日の際に、記者会見で「日本の施政下にある領土は、尖閣も含めて安保条約第5条の適用対象となる」と明言したことで、日本有事の際には米国が無条件で参戦してくれるという前提に立って、集団的自衛権の行使容認問題が論じられているように思えてなりません。

安倍総理は、「米軍が日本のために血を流してくれるのに、日本人が米国のために血を流さなくてもいいのか」というように、日米安保条約の「偏務性」を、集団的自衛権の行使容認によって「双務性」のある関係に修正することを目指しているようです。しかし、「日本が武力攻撃を受けた場合、米国が武力で反撃する権利を持っている」ことと、その権利を行使することとは、現実的には同義ではありません。

しかも、「日本の施政下にある領土」と限定しているわけですから、竹島のように他国の施政下にある領土に対してはこの日米安保条約第5条は適用されない可能性もあります。また、尖閣諸島が中国の施政下に入った場合、米国が尖閣諸島奪還のために軍事行動を起こす保証があるわけでもありません。不思議に感じることは、こうした基本的な部分について、政府はおろか、マスコミも殆ど報道しないことです。

今回の集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことに関して、野党からは「国民に対する説明が不十分だ」という批判が上がっています。しかし、国会審議の時間が足りないと言っているのか、どのような説明が欠けているのか、具体的な言及はありませんから、反対論自体も説得力に欠けているといわざるを得ない状況になっています。

■ 「明白な危険」は国内にあり
個人的には、重要なことは、客観的な情報が共有されたうえで議論がなされることと、結論はともかくとして、少なくとも政府は詭弁など使わずに、論理的整合性のある説明が出来るような決定を下すことだと思います。あとは「民主主義」と「自己責任」の原則に従う以外にありません。有権者個人が自らの参政権を行使したか否かに関らず、自民党に大きな議席を与え、安倍政権を誕生させてしまったのは国民でしかないのですから。

今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定を見ていて懸念を覚えるのは、政府からもマスコミからも、客観的な情報が国民に提供されなくなって来ていることと、論理的におかしな主張が横行していることです。

こうした状況が放置され続くのだとしたら、「国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」は他国からの武力行使などなくとも、国内で自然に高まっていくことになるような気がしてなりません。政府には、国内から生じる可能性のある「明白な危険」の「抑止力」についても、集団的自衛権の行使と同じ位配慮をして貰いたいものです。


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