もしもマルクスの時代に「膨大な歴史データ」があったなら ~ ピケティが感じさせる「歴史の皮肉」と「マルクスの亡霊」


 
ロシア革命時代の水準まで広がった「所得や富の格差」

「先進国の所得や富の格差は20世紀初めの水準まで広がっている ―。膨大な歴史データを基に、そんな姿を示したパリ経済学校教授のトマ・ピケティ氏が世界中で話題を呼んでいる」(1日付日本経済新聞「日曜日に考える ~資本主義を生かすために」) 

「資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る」というシンプルな不等式から格差を説明する理論で脚光を浴びているトマ・ピケティ氏が来日し、日本のマスコミから引っ張りだこになっています。 

日本経済新聞の記事は「先進国の所得や富の格差は20世紀初めの水準まで広がっている」という文章で始まっていますが、「膨大な歴史データ」に基づいて作られた「歴史的に常に資本収益率(r)>経済成長率(g)」というチャートをみる限り、現時点で 「先進国の所得や富の格差は20世紀初めの水準まで広がっている」のではなく、「2050年から2100年の間に20世紀初めの水準まで広がる」というのが正しい表現のように思います。

 それはさておいて、ピケティ氏の発言を聞いていて感じることは、歴史の皮肉とマルクス主義の亡霊です。

 「先進国の所得や富の格差は20世紀初めの水準まで広がっている」とのことですが、この20世紀初めに起きた歴史的出来事の一つは1917年のロシア革命です。このロシア革命によって初めてソビエト連邦という社会主義国が誕生したからです。

   「資本収益率(r)と経済成長率(g)」の縮小原因は「資本の毀損」?

20世紀には2つの大戦やインフレで、資本が毀損した。反面、戦後の復興などで経済成長率は大いに高まった」(同日本経済新聞)

 ピケティ氏は、20世紀初めから21世紀の初めまでに「資本収益率(r)」と「経済成長率(g)」の差が縮小傾向にあったことを、2つの大戦やインフレによる「資本の毀損」が原因であると発言しています。 

しかし、少々気に懸かることは、掲載されているチャートを見る限り、その期間も「資本収益率(r)」はほとんど低下しておらず、「経済成長率(g)」が上昇する形で両者の差が縮小していることです。

 単なる偶然であり、因果関係はないのだと思いますが、この「資本収益率(r)」と「経済成長率(g)」の差が縮小していた期間は、ソ連を中心とした社会主義国が存在していた時代です。

 1991年にソ連が崩壊して以降、社会主義、共産主義国は減り続け、現在ではほとんどの国が実質的に資本主義になって来ています。資本主義が「平等で公平な社会」を謳った社会主義を淘汰し、「資本主義の勝利」が叫ばれるなかで「資本収益率(r)」と「経済成長率(g)」の差が拡大し、社会主義国が誕生した20世紀初頭と同じように「富みの集中と格差」が社会の最大の課題になって来ていることに歴史の皮肉を感じてしまいます。

 筆者の学生時代には、資本主義社会から社会主義社会、そして共産主義社会に発展するという、マルクス・レーニン主義が若者の心を惹きつけていました。しかし、現実の歴史は真逆で、実際には社会主義は淘汰され、社会主義国のほとんどは資本主義国へと後戻りして来ました。

 資本主義は自由競争であり、自由競争が効率的な経済と社会を作ると言われています。しかし、ピケティ氏の示すチャートを見ていると、資本主義が社会主義との競争に勝利し、自由競争が資本主義の中だけで繰り広げられるようになってからは、「資本収益率(r)」も「経済成長率(g)」も下がる中、両者の差が広がるという芳しくない形に転じて来ています。社会主義を淘汰してしまったことで、社会主義が台頭した時代に逆戻りしているというのは、歴史の皮肉のように思えてなりません。

   ピケティ氏が「膨大な歴史データ」で示したもの

89年のベルリンの壁崩壊を目の当たりにしているだけに、ソ連型の共産主義には何の魅力も感じない。私の本を読んでもらえば、反資本主義などではないと分かるはずだ。私は私有財産制を支持するし、市場やグローバリゼーションの効能を信じている。同時に強力な民主主義制度が必要だし、富の透明性が必要だ。市場や資本の力は大変に強いので、革新をもたらす一方で、極端な所得や富の集中も招いてしまう。資本への累進課税を提案しているのは、その是正策だ」(同日本経済新聞)

 ピケティ氏は、一部から出ている「反資本主義」だという批判を明確に否定しています。

 確かに、ピケティ氏が格差の説明に用いている「資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る」というシンプルな不等式は、マルクスが打ち出した「資本家と労働者の間で売買されるのは労働ではなくて労働力であり、資本家は労働力を使って賃金分を越える価値を生み出すこと、その超過分である剰余価値こそ資本の利潤の源泉である」(wikipedia)という剰余価値説を「膨大な歴史データ」を基に検証したものであるようにも感じます。


ピケティ氏とマルクスの間には、その後の問題解決行動において大きな相違点があります。ですから、ピケティ氏は「反資本主義者」ではなく、問題意識の点で「反資本主義」の象徴であるマルクスと共通項があるということだと思います。

 マルクスの時代に「膨大な歴史データ」が存在していたとしたら、マルクスはピケティ氏と同じ不等式を示していたかもしれません。ピケティ氏の話しからマルクス主義の香りを感じてしまうのは、こうした理由からかもしれません。

  社会主義、資本主義に続く「第三の桃源郷」

「世界が低成長時代に入れば資本を持つ者と持たざる者の格差は広がる。市場経済では格差拡大を予定調和的に制御する力が働かない、という」(同日本経済新聞)

 社会主義におけるテクノクラート主導による計画経済でも「格差拡大を予定調和的に制御する力が働かない」ことを歴史が証明した今日、市場経済でも「格差拡大を予定調和的に制御する力が働かない」ということは、資本家以外浮かばれる社会体制は存在しないということなのかもしれません。

 社会主義を淘汰した資本主義が、社会主義台頭の原動力になった「所得や富の格差」に苦しむ中、マルクスの提唱した理論を「膨大な歴史データ」を用いて検証した格好のピケティ氏という時代のヒーローが誕生して来たというのは、マルクスの亡霊の仕業なのかもしれません。

 「相次ぐ金融危機や成長鈍化で人々の不満が募る中で、資本主義や市場経済を生かすにはどうすればいいか」(同日本経済新聞)

 この記事はこうした問題意識のもとでピケティ氏の診断を仰いでいます。しかし、「資本主義や市場経済を生かす」という制約条件を付ける限り、「所得や富の格差」という課題から解放されることはないのかもしれません。資本主義の掲げる理想が、かつての社会主義が掲げた理想同様幻になりかけている中、人間は資本主義でも社会主義でもない新たな「第三の桃源郷」を見付けられるのでしょうか。


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コメント

資本主義の精神

マックスウェーバーのいうプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神が忘れられ、ビッグバンを契機に資本主義が暴走を始めたのではないかと思います。フリー、フェア、グローバルのうち、フェアは金融が複雑化し情報の非対称性があるなかで、プロテスタンティズムの倫理がない限り、実現されない。このことはクルーグマンの指摘やマイケルムーア(笑)の映画も指摘もあったかと。
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近藤駿介

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Author:近藤駿介
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ファンドマネージャー、ストラテジストとして金融市場で20年以上の実戦経験を持つと同時に、評論家としても活動して来ました。教科書的な評論・解説ではなく、市場参加者の肌感覚をお伝えしていきたいと思います。

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