インセンティブが足りないことが、日本企業の企業価値が高まらない原因なのか

■能ある鷹が爪を隠しているのか
「役員報酬が1億円に満たない企業トップが多い日本から見ると、米スーパーCEOたちはまるで別世界の住人だ。報酬に関する限りピケティ教授の指摘する問題を心配する必要はないだろう。しかし、スーパーCEOの存在は日本に対して、格差とはまったく逆の問題を提起している。日本の経営者報酬には、企業価値を高めるために積極的にリスクをとっていこうという動機づけ(インセンティブ)が足りないのではないか、という点だ」(8日付日本経済新聞 「CEO高額報酬 日本への示唆は」))

8日付の日本経済新聞に、日本企業のインセンティブが足りないことが、企業価値を高める能力を持った企業経営者が能力を発揮する上での足枷になっているのではないかという疑問を投げ掛ける記事が掲載されています。

確かに、日本人は「能ある鷹は爪を隠す」という諺が存在するくらい奥ゆかしく謙虚な国民で、能力が高くてもそれを軽々しく見せつけるようなことはしませんから、能力を発揮させるためには欧米以上にインセンティブを厚くする必要があるという考え方も成り立つかもしれません。

この記事を読んで、10年強前に、当時在籍していた運用会社での運用部の課長(ファンドマネージャー)とのやり取りを思い出しました。

「ファンドの運用成績を上げるのは簡単ですよ。ファンドマネージャーのインセンティブを上げればいいんです」

課長のこの発言に筆者は次のような質問を返しました。

「今、インセンティブが足りないという理由で君が隠している能力は何?」

当然、この質問に対する回答はなく、課長との会話はこれで打ち切りとなりました。

インセンティブを高めれば、従業員の能力が高まるかのような議論は多くみられますが、インセンティブを高めて能力の高い人に報酬面で報いる制度を設けることと、インセンティブを高めれば人の能力が高まるということとは全く異質のものです。

■マズローの欲求5段階説
「マズローの欲求5段階説」に基づけば、人間の欲望は5段階のピラミッドのように構成されており、低階層の欲求が充たされると、より高次の欲求へと段階的に進んでいくとされています。そして、こうした欲求が行動の動機づけとなり仕事をしていくことになるとされています。

組織におけるこのピラミッドは、賃金・労働条件といった基本的・本能的な欲求である「生理的欲求」から始まり、順に「安全・安定欲求(身分保障・福利厚生)」、「社会的欲求(帰属意識や人間関係)」「自尊・尊厳欲求(昇進・昇格・表彰など他人から認められたいという欲求)」と上がって行き、自分の能力を引き出し創造的な活動をしたいという「自己実現欲求」が最上階層の欲求だと位置づけられています。

さらに、「自己実現欲求」だけは例外で、「自己実現欲求」に移行した段階では、自己実現が満たされても自分自身の持つ潜在的な能力をさらに高めようと、人は絶え間なく上への要求を高め、行動の動機付けはより強まって行くとされています。

この「マズローの欲求5段階説」が正しいとすると、能力を持った人間は、インセンティブとは関係なく「自分の能力を引き出し創造的な活動をしたい」という「自己実現欲求」の実現を求めるようになるということです。

したがって、本当に企業価値を高める能力を持った企業経営者であれば、インセンティブなど関係なく「自己実現欲求」を満たすために企業価値を上げる行動を起こすことになるはずだということです。

■企業価値を上げる行動をとらない経営者が抱える本質的問題
もし、日本企業の経営者の多くが企業価値を高めるためにリスクを取らないとしたら、その原因はインセンティブが低いということではなく、「自己実現欲求」を欲する段階に達していない人が企業経営者になっていることかもしれません。

「マズローの欲求5段階説」の一つのポイントは、「人は低階層の欲求が充たされると、より高次の欲求へと段階的に進んでいく」という点です。言い換えれば、低階層の欲求が満たされなければ、人はより高次の欲求には進んで行かないということです。

もし、企業価値上昇という経営者として当然の「自己実現欲求」を求めない企業経営者がいるとしたら、それはその一つ下の階層である「尊厳欲求」が満たされていない可能性があるということです。この「尊厳欲求」は「他者から認められたい、尊敬されたい」という欲求ですから、裏返していうと日本には「他者から認められたい、尊敬されたい」という欲求を満たせていない人達を経営者に据えてしまっている企業が多く存在しているということになります。

もしそうだとしたら、この人たちに欧米企業と同等の十分なインセンティブを見せたところで、「豚に真珠」で終わる可能性があるということです。

日本が目を向けなければならない問題は、「日本の経営者報酬には、企業価値を高めるために積極的にリスクをとっていこうという動機づけ(インセンティブ)が足りないのではないか、という点」ではなく、「自己実現欲求」を欲する段階に至っていない、つまり、「まだ周囲から認められたり、十分な尊敬を得られたりしていない段階の人を経営者に据えている点」にあるという視点がそろそろ必要かもしれません。

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近藤駿介

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ファンドマネージャー、ストラテジストとして金融市場で20年以上の実戦経験を持つと同時に、評論家としても活動して来ました。教科書的な評論・解説ではなく、市場参加者の肌感覚をお伝えしていきたいと思います。

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